「嫌われてもいい」と決めた日から。

「嫌われてもいい」と決めた日から。

こんにちは、

京都 西京区 桂の桂中・桂川中対象

毎日塾に通える個別指導塾

遊学館の塾長の鶴崎です。

塾を始めて、気づけば長い月日が経ちました。

これまで多くの子どもたちの背中を見送ってきましたが、

今でもふと、夜中に自分に問いかけることがあります。

「あの時、あの子にあの言葉を伝えてよかったのだろうか」

「なぜ、あの時あの一言を飲み込んでしまったんだろう」

正直に告白します。

私の心に残っている後悔は、「伝えすぎたこと」よりも、

「伝えるべきだったのに、伝えられなかったこと」の方が、圧倒的に多いのです。

「優しいふり」をして、チャンスを奪っていた。

中学生という多感な時期。

・耳が痛いこと ・図星なこと

・自分の弱さと向き合わなければならないこと

そんな話は、誰だって聞きたくありません。

子どもたちの嫌がる顔を見るのは、私だって辛い。

だからかつての私は、「優しさ」というオブラートに包んで、

肝心な言葉を飲み込んでしまうことがありました。

「今は様子を見よう」 「そのうち本人が気づくはず」

「これ以上言うと、嫌われてしまうかも……」

でも、それは「本当の優しさ」ではなく、

私が傷つきたくないだけの「逃げ」だったのかもしれません。

誰も本音を言ってくれなくなった結果、成績が伸び悩み、自信を失っていく。

そんな子どもたちの姿を、私は後悔とともに見てきました。

あの時、嫌われてでも言うべきだった。

今でも忘れられない一人の生徒がいます。

当時、その子の頑張りを認めてあげたい一心で、

私は一番厳しい現実を突きつけることを躊躇しました。

結果、その子は入試で大きくつまずきました。

その時の悔しそうな顔を見るたび、今でも胸が締め付けられます。

「あの時、嫌われてもいいから、泣かせてでも言うべきだった」

「本音を伝えることこそが、私の責任だったのではないか」

その日の後悔が、今の私の信念を作っています。

お母さん、これだけは信じてください。

もし、お子さんが家に帰って、

「今日、先生に厳しいこと言われた」 「嫌なことを指摘された」 と、

不満そうに話す日があったら……

どうか、思い出してほしいのです。

それは、見放したからではありません。

その逆です。

「君は、まだ伸びる」 「ここで変われば、未来が変わる」

そう心から信じているからこそ、私は一番の悪役になって、言葉を投げています。

何も言わず、当たり障りなく接して、笑顔で帰す。

それが一番ラクで、スマートな指導かもしれません。

でも、私はもう、「もっと早く言ってあげればよかった」という後悔だけはしたくないのです。

未来に、責任を持ちたい。

現実から目をそらさせないこと。

今、何が足りないのかを、誤魔化さずに言葉にすること。

それが、大切なお子さんの未来を預かる、塾の役目だと思っています。

時に厳しく、時に泥臭く。

でも、誰よりもお子さんの可能性を信じて。

今日も私は、一番伝えにくい「本音」を、心を込めて伝えます。

それが、お子さんの未来にとって、一番の近道だと信じているから。